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◆スユ30
 スユ30 1〜30(ダブルルーフ車、旧スユ36000〜36029)
 日本初の鋼製郵便車で、1927(昭和2)年に日本車輌、藤永田造船所で30両製造された。車体形状は木製客車の外板を鋼製化した構造となっており、二重屋根(ダブルルーフ)17mの車体を有し、魚腹形台枠を用い、窓は小さく(上下寸法660mm)、台車は縁山形鋼を用いたTR13を使用している。車内は前後に出入台を設けており、前位から順に郵便区分室、便所・休憩室、郵便区分室、車掌室が配置され、積載荷重は9tである。製造当初はスユフ47500〜47529という車号であったが、昭和3(1928)年にスユ36000〜36029に改番され、さらに1941年(昭和16)年にスユ30 1〜30に改番された。戦災、事故により4両が廃車となり、戦後は進駐軍に接収されて1両がスニ30形に改造され、さらに1951(昭和26)年に2両がスユニ30形となったが、その他の車両は1966(昭和41)年までにスエ30形、オル30形へ改造または廃車となり形式消滅した。

スエ30 29
スエ30 29(盛カミ
北上操車場跡地、1988年 5月29日

 <車両履歴>
  スユフ47527(1927年/新製)
    ↓
  スユ36027 (1928年/改番)
    ↓
  スユ30 28 (1941年/改番)
    ↓
  スニ30 109 (19--年/改造)
    ↓
  スエ30 29 (1962年/改造)



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◆マユ31
 マユ31 1〜3(ダブルルーフ車、旧マユ36050〜36052、電気暖房付は+2000)
 スユ30形に続いて製造された日本初の20m級鋼製郵便車で、1932(昭和7)年に藤永田造船所で3両製造された。車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)で(リベットは少ない)、車内配置は中央部に休憩室と便所が設けられ、両側に郵便区分室が配置されている。積載荷重は13tで、台車はTR23を使用している。製造当初はマユ36050〜36052という車号であったが、1941年(昭和16)年にマユ31 1〜3に改番された。戦災により1両が廃車となったが、その他の車両は1967(昭和42)年に廃車となり形式消滅となった。



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◆マユ32
 マユ32 1〜3(旧マユ36100〜36102、電気暖房付は+2000)
 マユ31形に続いて製造された日本初の丸屋根形の鋼製郵便車で、1935(昭和10)年に日本車輌で3両製造された。車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)から丸屋根形に変更され、後位側の郵便室扉も1枚引き戸から通常の2枚開き扉に変更された。車内配置はマユ31形とほぼ同様で、中央部に休憩室と便所が設けられ両側に郵便区分室が配置されている。積載荷重は13tで、台車はTR23を使用している。製造当初はマユ36100〜36102という車号であったが、1941年(昭和16)年にマユ32 1〜3に改番された。1968(昭和43)年に全車廃車となり形式消滅となった。



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◆マユ33
 マユ33 1〜16(旧マユ36120〜36135、電気暖房付は+2000)
101〜105(マユ330番代、電気暖房付は+2000)
111(旧マニ33←マユ330番代、電気暖房付は+2000)
 マユ32形に続いて製造された逓信省(現郵政省)所有の郵便車で、1937〜1938(昭和12〜13)年に日本車輌、汽車製造、梅鉢車輌で16両製造された。車体配置は中央部に休憩室と便所が設けられ両側に郵便区分室、その両側に郵袋室が配置されている。車体幕板には採光用小窓が郵便区分室部分に設けられ(郵便区分作業能率向上のため)、側窓には大きな『』マークが採用されている。積載荷重は11tで、台車はTR23を使用している。製造当初はマユ36120〜36135という車号であったが、1941年(昭和16)年にマユ33 1〜16に改番された。戦災により1両が廃車となり、戦後 1両が進駐軍に接収されてマニ33形に改造された。接収が解除され 1953(昭和28)年に大船工でマユ33形に復元されているが、車体中央部の休憩室が小さく、区分棚が撤去され護送便専用郵便車となったためマユ33 111に改番された。さらに他の5両についても大宮、大船工で護送便専用郵便車に改造されたためマユ33 101〜105に改番された。1971(昭和46)年までに全車廃車となり形式消滅となった。



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◆マユ34、マユ35
 マユ34 1〜4(旧マユ36150〜36153、電気暖房付は+2000)
5〜16
 マユ33形に続いて製造された逓信省(現郵政省)所有の郵便車で、1938(昭和13)年に川崎車輌、田中車輌で4両、1948(昭和23)年に日本車輌で15両製造された。車体配置は中央部に休憩室と便所が設けられ両側に郵便区分室、その両側に郵袋室が配置されている。車体幕板には採光用小窓が郵便区分室部分に設けられ、郵袋室の積載荷重は11tで、台車はTR23を使用している。戦前製は製造当初はマユ36150〜36153という車号で、1941年(昭和16)年にマユ34 1〜4に改番されたが、戦災により1両が廃車となった。1948(昭和23)年にマユ34 5〜16が日本車輌で製造されたが、窓配置等の車体配置は戦前製(マユ34 1〜4)と同じであるが、車端部はオハ35形後期形のように半切妻(折妻形)形となり、台車もコロ軸受のTR34に変更されている。戦後製のマユ34 5〜16は1949(昭和24)年に車掌室の設置改造を行いマユ35形に改番され、残った4両も1972(昭和47)年までに全車廃車となり形式消滅となった。



 マユ35 1〜15(旧マユ34、3両は新番号で出場、電気暖房付は+2000)
 戦後初の新製郵便車マユ34形に車掌室の設置改造を行った郵便車で、1949(昭和24)年に15両改造された。車内は前後に出入台を設けており、前位から順に郵袋室、郵便区分室、便所・休憩室、郵便区分室、郵袋室、車掌室という配置で、郵袋室の積載荷重は11tである。車体形状は半切妻(折妻形)形で、台車はTR34を使用している。1969〜1971(昭和44〜46)年に9両が救援車スエ31形に改造され、6両が廃車となり形式消滅となった。
<形式変遷表>
マユ36150〜36153(1938)─→ マユ34 1〜4 (1941)
               マユ34 5〜16(1948)─→ マユ35 1〜15(1949)
                             │
                             └──→ スエ31(1969)

スエ31 180
スエ31 180(盛ハヘ
八戸駅、1986年 9月 2日

 <車両履歴>
  マユ34 5  (1948年/新製)
    ↓
  マユ35 1  (1949年/改番)
    ↓
  マユ35 2001(19--年/電暖化)
    ↓
  スエ31 180 (1971年/改造)



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◆オユ36、スユ37、オユ40、スユ40
 オユ36 1〜6
 スユ37 2001〜2005(旧オユ36、電気暖房付)
 オユ36形マユ35形に続いて製造された郵政省所有の郵便車で、1949(昭和24)年に日本車輌で6両製造された。車内は前後に出入台を設けており、前位から順に便所・休憩室、郵便区分室、郵袋室、車掌室という配置で、郵袋室が1つになったため荷物扉は1カ所のみとなっている。郵袋室の積載荷重は4tで、台車はTR23Bを使用している。1955(昭和30)年に大船工で郵袋室の2室化改造と前位出入台の撤去を行い、車内配置は前位から順に小包締切郵袋室、便所・休憩室、郵便区分室、通常締切郵袋室、車掌室となり、郵袋室の積載荷重も6tに増加した。1955(昭和30)年に5両が電気暖房化改造を行い重量増加となったためスユ37 2001〜2005に改番され、1956(昭和31)年に1両がスユ40 11に改造された。スユ37形は1977(昭和52)年までに廃車となり形式消滅した。



 オユ40 1〜3
 スユ40 1〜3(旧オユ40、電気暖房付は+2000)
11(旧オユ36)
 オユ40形はオユ36形に続いて製造された郵政省所有の郵便車で、1951(昭和26)年に近畿車輌で3両製造された。車体形状はこの形式から完全切妻形に変更されている。車内は後位に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、郵便区分室、締切郵袋室、車掌室が配置されている。積載荷重は7tで、台車は電車用を改造したTR35Uを使用している。1956(昭和31)年に日本車輌で締切郵袋室の拡大化改造(→積載荷重 8t)を行いスユ40 1〜3に改番された。また、オユ36 6も同様の改造を行いスユ40 11に編入されているが、こちらは半切妻(折妻形)形の車体となっている。スユ40形は1972(昭和47)年に全車廃車となり形式消滅した。
<形式変遷表>
オユ36 1〜6(1949)──→ スユ37 2001〜2005(1955)
  │
  └──────────────→ スユ40 11 (1956)
オユ40 1〜3(1951)───────→ スユ40 1〜3(1956)



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◆スユ41
 スユ41 1, 2
 オユ40形に続いて製造された郵政省所有の郵便車で、1952(昭和27)年に日本車輌で2両製造された。車内はオユ40形と同じ配置で、後位に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、郵便区分室、締切郵袋室、車掌室となっている。新製時より室内灯に蛍光灯が採用されているため、通風器の配置がオユ40形と異なる。積載荷重は7tで、台車はTR23Aを使用している。1965(昭和40)年に小倉工で前位側荷物扉を両開きに改造している。1972(昭和47)年に全車廃車となったため形式消滅した。



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◆スユ42
 スユ42 1〜6
11〜16(TR40台車付)
 スユ41形に続いて製造された郵政省所有の郵便車で、1953〜1955(昭和28〜30)年に日本車輌で12両製造された。車内はスユ41形と同じ配置で、後位に出入台を設けており、前位から順に小包締切郵袋室、便所・休憩室、郵便区分室、通常締切郵袋室、車掌室となっている。小包締切郵袋室が拡大されているため荷物扉が両開きとなっており、積載荷重は7tである。スユ42 1〜6は台車がTR23となっているが、第2次車以降のスユ42 11〜16は防振ゴム付きTR40を使用している。第3次車のスユ42 14〜16は側窓の一部と採光用小窓がHゴム化され、側面に通気口(ルーバー)が設けられている。1979(昭和54)年までに全車廃車となったため形式消滅した。



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◆スユ43
 スユ43 1〜6
 スユ42形と同時期に製造された郵政省所有の護送便専用郵便車で、1956(昭和31)年に日本車輌で6両製造された。車内は後位に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、締切郵袋室、車掌室が配置されている。郵袋室の積載荷重は13tで、台車はTR23Dを使用している。1977(昭和52)年に全車廃車となったため形式消滅した。



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◆オユ60、オユ61
 オユ60 1, 2
 1950(昭和25)年に木製車を鋼体化して誕生した郵政省所有の郵便荷物車で、新潟鉄工所で2両改造された。車内配置は同時期に新製されたオユ36形と同じで、前後に出入台を設け、前位から順に便所・休憩室、郵便区分室、郵袋室、車掌室で、荷物扉は1カ所のみとなっているが、車体形状はオハ61系のため完全切妻形で台車はTR11を使用している。郵袋室の積載荷重は4tである。1955(昭和30)年に大船工で郵袋室の2室化改造と前位出入台の撤去を行いオユ61 3, 4に改番され形式消滅した。



 オユ61 1, 2
3, 4(旧オユ60)
 1952(昭和27)年に木製車を鋼体化して誕生した郵政省所有の郵便荷物車で、新潟鉄工所で2両改造された。車内は同時期に新製されたオユ40形と同じ室内配置で、後位に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、郵便区分室、締切郵袋室、車掌室が配置されている。積載荷重は7tで、台車はTR11を使用している。1955(昭和30)年には大船工でオユ60 1, 2が郵袋室の2室化改造と前位出入台の撤去を行いオユ61 3, 4に編入されている。オユ61 1, 2は1965(昭和40)年に小倉工でオユ40形と同様に前位側荷物扉の両開き化改造を行っている。1978(昭和53)年までに全車廃車となったため形式消滅した。
<形式変遷表>
オユ60 1,2(1950)─┐
オユ61 1,2(1952) │
          └→ オユ61 3,4 (1955)



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◆スユ71、スユ72
 スユ71 1〜15
 スユ72 1〜15(旧スユ71)
 スユ71形は戦後の郵便車不足を補うために戦災を受けた20m級客車を復旧した郵便車で、1947〜1948(昭和22〜23)年に新潟鉄工所、日本車輌で15両製造された。前後位には出入台がなく、前位から順に郵便区分室、便所・休憩室、郵便区分室が配置されている。積載荷重は13tで、台車はTR23を使用している。車掌室がないため運用に不便があったため、1951(昭和26)年に車掌室と車掌用出入台(デッキ)の設置が行われて全車スユ72形に改番された。1962〜1964(昭和37〜39)年に12両が救援車スエ71形に改造され、残りの3両も1965(昭和40)年までに廃車となり形式消滅した。

<形式変遷表>
スユ71 1〜15(1947)──→ スユ72 1〜15(1951)
               │
               └──→ スエ71(1962)

スエ71 54
スエ71 54(静ハマ
西浜松電留線、1988年 6月--日

 <車両履歴>
  スユ71 11 (1948年/復旧)
    ↓
  スユ72 11 (1951年/改造)
    ↓
  スエ71 54 (1964年/改造)


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