荷 物 車 (Part1)
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◆スニ30
 スニ30 1〜84(ダブルルーフ車、旧スニ36500〜36583)
85〜108(ダブルルーフ車、旧スニ36650〜36673)
109(ダブルルーフ車、旧スユ30)
 日本初の鋼製荷物車のスニ36500形とその増備車スニ36650形を統合した形式で、1927〜1932(昭和2〜7)年に108両製造された。11両が戦災で廃車となり、戦後になって21両が進駐軍に接収されたが全車接収解除とともに復旧し、戦後進駐軍に接収されたスユ30形から1両が改造編入されている。1961〜1964(昭和36〜39)年に35両が救援車スエ30形に改造され、残った車両も1965(昭和40)年までに廃車となり形式消滅した。
 スニ30 1〜84は 1927〜1929(昭和2〜4)年に日本車輌、汽車製造、田中車輌、梅鉢鉄工所、川崎重工、藤永田造船所、大阪鉄工所で84両製造された。車体形状は木製客車の外板を鋼製化した構造で、魚腹形台枠を用いた17m車体を有し、車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)で側窓は上下が小さくなっている(上下寸法660mm)。積載荷重は14tで、台車は縁山形鋼を用いたTR13を使用している。1927(昭和2)年に製造された50両は当初スニ47800〜47849であったが、1928年(昭和3)年にスニ36500〜36549に改番された。1929(昭和4)年にスニ36550〜36583が増備され、1941年(昭和16)年にスニ30 1〜84に改番された。

 スニ30 85〜108は 1929〜1932(昭和4〜7)年に梅鉢鉄工所、藤永田造船所、大阪鉄工所で24両製造された。窓配置等の車体配置および車体形状はスニ30 1〜84と同じであるが、同時期に製造されたスハ32系などのように側窓の上下寸法が735mmに変更されている。製造当初はスニ36650〜36673という車号であったが、1941年(昭和16)年にスニ30 85〜108に改番された。

 スニ30 109は 戦後進駐軍に接収されたスユ30形を荷物車に改造しスニ30形に編入した車両で、窓配置が種車のままで他の車両とは異なる。

スエ30 9
スエ30 9(南シナ
新前橋駅、1990年 5月 3日

 <車両履歴>
  スニ47807 (1927年/新製)
    ↓
  スニ36507 (1928年/改番)
    ↓
  スニ30 8 (1941年/改番)
    ↓
  スエ30 9 (1961年/改造)

スエ30 8
スエ30 8(名イナ
1985年 8月 4日

 <車両履歴>
  スニ36660 (1930年/新製)
    ↓
  スニ30 95 (1941年/改番)
    ↓
  スエ30 8 (1961年/改造)

スエ30 29
スエ30 29(盛カミ
北上操車場跡地、1988年 5月29日

 <車両履歴>
  スユフ47527(1927年/新製)
    ↓
  スユ36027 (1928年/改番)
    ↓
  スユ30 28 (1941年/改番)
    ↓
  スニ30 109 (19--年/改造)
    ↓
  スエ30 29 (1962年/改造)



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◆マニ31
 マニ31 1〜18(ダブルルーフ車、旧マニ36700〜36717、電気暖房付は+2000)
19〜58(旧マニ36750〜36789、電気暖房付は+2000)
59〜72(旧マニ36790〜36803)
 スニ30形に引き続き製造された日本初の20m級鋼製荷物車のマニ36700形とその増備車マニ36750形を統合した形式で、1931〜1938(昭和6〜13)年に72両製造された。戦災で2両が廃車となり、1946年(昭和21)年に1両が酒保車オミ30形に改造され、1953〜1960(昭和28〜35)年に36両がマニ32形に編入または改造された。さらに1962〜1967(昭和37〜42)年に14両が救援車スエ31形、スエ32形に改造され、残った車両も1970(昭和45)年までに廃車となり形式消滅した。
 マニ31 1〜18は 1931〜1932(昭和6〜7)年に藤永田造船所、梅鉢鉄工所、日本車輌、大阪鉄工所で18両製造された。車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)で、車内は荷物室と車掌室が配置されている。積載荷重は14tで、台車はTR23を使用している。製造当初はマニ36700〜36717という車号であったが、1941年(昭和16)年にマニ31 1〜18に改番された。戦後11両が進駐軍に接収されオシ30形、オシ33形、オミ35形に改造されたが、1956(昭和31)年までに接収解除となりマニ31形に復旧されたが、オシ30 1となった1両は1948年(昭和24)年に酒保車オミ30 41(その後保健車オヤ33 1に改造)に改造された。マニ31 7は更新修繕の際に二重屋根から丸屋根に改造され、さらに1959(昭和34)年に便所が設けられたためマニ32 94に改番された。

 マニ31 19〜58は 1932〜1938(昭和7〜13)年に梅鉢鉄工所(梅鉢車輌)、日本車輌、川崎車輌、田中車輌、大阪鉄工所、汽車製造、日立製作所で40両製造された。窓配置等の車体配置はマニ31 1〜18と同じであるが、車体形状が二重屋根(ダブルルーフ)から丸屋根形に変更されている。製造当初はマニ36750〜36789という車号であったが、1941年(昭和16)年にマニ31 19〜58に改番された。1956〜1960(昭和31〜35)年に便所の設置改造(一部は電気暖房も取付け)を行いマニ32形に編入した。

 マニ31 59〜72は 1938〜1939(昭和13〜14)年に梅鉢車輌、汽車製造、川崎車輌で14両製造された。窓配置等の車体配置はマニ31 19〜58と同じであるが、製造当初から便所が設けられている。当初はマニ36790〜36803という車号であったが、1941年(昭和16)年にマニ31 59〜72に改番され、さらに1953年(昭和28)年に設備内容が同じマニ32形に編入された。

スエ31 21
スエ31 21(水ワキ
湯本駅、1988年 3月28日

 <車両履歴>
  マニ36708(1931年/新製)
    ↓
  マニ31 9 (1941年/改番)
    ↓
  スエ31 21(1967年/改造)

スエ31 57
スエ31 57(水ワキ
湯本駅、1988年 3月28日

 <車両履歴>
  マニ36786 (1938年/新製)
    ↓
  マニ31 53 (1941年/改番)
    ↓
  マニ32 2126(1960年/改造)
    ↓
  スエ31 57 (1969年/改造)



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◆マニ32
 マニ32 1〜34(旧マニ36820〜36843、10両は新番号で出場、電気暖房付は+2000)
25〜64(電気暖房付は+2000)
71〜83(旧マニ31、電気暖房付は+2000)
91〜94, 2099, 2101, 102, 103, 2104, 107, 2109, 2110, 111, 114, 115, 120, 121, 124, 2126, 127〜130(旧マニ31、2000番代は電気暖房付)
 マニ31形に引き続き製造された荷物車で、1940〜1949(昭和15〜24)年に64両製造された。その後、1953〜1960(昭和28〜35)年にマニ31形から36両が編入または改造された。1両が戦災で廃車となり、1963〜1971(昭和38〜46)年に15両が救援車スエ31形に改造され、4両が教習車オヤ33形に改造され、残った車両も廃車となり形式消滅した。
 マニ32 1〜34は 1940〜1942(昭和15〜17)年に汽車製造、川崎車輌で34両製造された。マニ32 1〜17は同時期に製造されたオハ35形などのように張上げ屋根となっており、マニ32 18〜34は丸屋根形となっている。車内は荷物室、便所、車掌室が配置されており、積載荷重は14tで、台車はTR23を使用している。製造当初はマニ36820〜36843という車号で、1941年(昭和16)年にマニ32 1〜24に改番されているが、1942(昭和17)年製のマニ32 25〜34は新番号で出場している。戦災により2両が廃車となり、戦後 13両が進駐軍に接収されて郵便車と荷物車として使用されたが、その後全車とも接収解除となりマニ32形に復旧されている。

 マニ32 35〜64は戦後の1948〜1949(昭和23〜24)年に増備されたグループで、帝国車輌で30両製造された。窓配置等の車体配置は戦前製(マニ32 1〜34)と同じであるが、車端部はオハ35形後期形のように半切妻(折妻形)形となり、台車もコロ軸受のTR34に変更されている。

 マニ32 71〜83は1953(昭和28)年に当初より便所付きで製造されたマニ31 59〜72をマニ32形に編入したグループで、車体形状は丸屋根形で台車はTR23を使用している。

 マニ32 91〜130(欠番あり、電暖付は+2000)は1956〜1960(昭和31〜35)年にマニ31形を便所付きに改造(一部は電気暖房も取付け)してマニ32形に編入したグループで、車体形状は丸屋根形で台車はTR23を使用している。このうちマニ32 91〜93は特急「あさかぜ」用として改造された車両である。

マニ32 1
マニ32 1(東シナ 京都駅、1962年 4月 1日

 写真:葛英一氏より提供

 <車両履歴>
  マニ36820 (1940年/新製)
    ↓
  マニ32 1  (1941年/改番)

スエ31 101
スエ31 101(大ウメ
梅小路機関区、1986年 1月 5日

 <車両履歴>
  マニ36825 (1940年/新製)
    ↓
  マニ32 6  (1941年/改番)
    ↓
  スエ31 101 (1967年/改造)

マニ32 60
マニ32 60(函ハコ 函館客車区、1974年10月 5日

 写真:葛英一氏より提供

 <車両履歴>
  マニ32 60 (1949年/新製)



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◆マニ33
 マニ33 1
 進駐軍に接収されたマユ33形を種車に改造した荷物車で、1951(昭和26)年に大宮工で1両改造された。窓割りは種車のままとなっているが、側窓は内側から当て板で塞がれており、荷物扉窓と貫通扉が鉄板で塞がれている。積載荷重は14tで、台車はTR23を使用している。接収解除後の1953(昭和28)年にマユ33 111に復旧改造されたため形式消滅した。

<形式変遷表>
マユ33 2(1937)──→ マニ33 1(1951)──→ スユ33 111(1953)



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◆マニ34
 マニ34 1〜6(電気暖房付は+2000)
 戦後のインフレに伴う現金輸送のために製造された日本銀行所有の現金輸送用荷物車で、1948(昭和23)年に日本車輌、帝国車輌で6両製造された。後位に出入台が設けられ、前位から順に荷物室、警備員添乗室、荷物室、車掌室が配置されている(積載荷重は14t)。車端部はオハ35形後期形のように半切妻(折妻形)形となっているが、台車はTR23Aを使用している。製造当初は電車用プレスドア(窓は鉄板で塞がれている)を流用した1,000mm幅の荷物扉を有し、警備員添乗室には3段寝台が設けられていたが、1954(昭和29)年に大船工で警備員添乗室が改造され3段寝台がリクライニングシートに変更され、1962(昭和37)年には荷物扉が2,000mm幅の両開き式に改造された。1964(昭和39)年に大船工で冷房化改造と近代化改造が施工され、床下に冷房装置AU21とディーゼル発電機が取り付けられ(積載荷重は11tに変更)、その後全車に電気暖房装置が取り付けられ2000番代に改番されたが、1970(昭和45)年にマニ30 2001〜2006に改番されたため形式消滅となった。



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◆マニ35
 マニ35 2001〜2010, 11〜13, 2014〜2016, 17, 18(旧スハニ32、2000番代は電気暖房付)
2051〜2055, 56, 57, 2058, 59, 2060〜2062, 63, 64, 2065〜2067, 68〜72(旧スハニ32、2000番代は電気暖房付)
2201〜2204(旧スハニ35、電気暖房付)
2221, 2222(旧オハニ40、電気暖房付)
 老朽化した戦前製や戦災復旧車などの荷物車の置換用として、マニ32形を基本に3等荷物車(スハニ31・スハニ32スハニ35オハニ40形)を改造した荷物車で、1962〜1967(昭和37〜42)年に土崎、幡生、多度津、小倉工で46両が改造された。外観等は種車により異なるが(下表参照)、車内は前後位に出入台を設けており、前位には自転車置場、後位には便所・貴重品室、車掌室が配置されている。種車の荷物室側(後位)の車掌室を再利用しているため、0番代(旧スハニ31形)、50番代(旧スハニ32形)は車掌室が広く、200番代(旧スハニ35形)、220番代(旧オハニ40形)は狭くなっている。積載荷重は14tで、台車はTR23またはTR47を使用している。1968〜1975(昭和43〜50)年に10両が救援車スエ31形に改造され、1986(昭和61)年までに全車廃車となり形式消滅した。

形式区分 番 号 種 車 特 徴 両数
0番代 2001〜2010, 11〜13, 2014〜2016, 17, 18 ← スハニ31 スハ32系、丸屋根、狭窓
TR23台車、電気暖房付は+2000
18
50番代 2051〜2055, 56, 57, 2058, 59, 2060〜2062, 63, 64, 2065〜2067, 68〜72 ← スハニ32 オハ35系、丸屋根、広窓
TR23台車、電気暖房付は+2000
22
200番代 2201〜2204 ← スハニ35 スハ43系、切妻屋根、狭窓
TR47台車、全車電気暖房付
4
220番代 2221, 2222 ← オハニ40 ← スハニ35 スハ43系、切妻屋根、狭窓
TR23台車、全車電気暖房付
2

スエ31 69
スエ31 69(名タヤ
高山駅、1983年 8月 9日

 <車両履歴>
  スハニ37727(1938年/新製)
    ↓
  スハニ31 72(1941年/改番)
    ↓
  マニ35 2014(1963年/改造)
    ↓
  スエ31 69 (1969年/改造)
スエ31 182
スエ31 182(秋カタ
山形機関区、1988年 5月28日

 <車両履歴>
  スハニ35 8 (1951年/新製)
    ↓
  マニ35 2203(1965年/改造)
    ↓
  スエ31 182 (1971年/改造)
スエ31 186
スエ31 186(長シノ
篠ノ井駅、1988年 4月10日

 <車両履歴>
  スハニ35 2 (1951年/新製)
    ↓
  オハニ40 2 (1962年/改造)
    ↓
  マニ35 2221(1965年/改造)
    ↓
  スエ31 186 (1972年/改造)


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