食堂車 (Part2)
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TOPPREVNEXTBOTTOM (戦後復元整備)三等食堂車

◆オハシ30
 オハシ30 1〜3(旧オハ35、電気暖房付は+2000)
4, 5(旧オシ31←スハ32、電気暖房付は+2000)
 戦争中に廃止されていた食堂車復活のためにオハ35形または接収解除となった簡易食堂車オシ31形(旧スハ32形)を改造した戦後初の日本人向けの食堂車(3等食堂車)で、1949(昭和24)年に若松車輌、宇都宮車輌および大宮、大井工で5両改造された。車体形状は種車のままとなっているが、車内配置は前位から順に洗面所・便所、3等室(定員24名)、食堂(定員18名)、調理室、物置となり、後位側の出入台部分は物置が設置されているため扉が塞がれている。当初は東京〜九州間の急行用として使用されたが、戦前製食堂車の復活とともに東北線の急行に転用され、1963(昭和38)年に旧スハ32形の2両は職用車マヤ20形(20系用簡易電源車)に改造され、残りの3両も1964(昭和39)年までに廃車となり形式消滅した。



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◆マシ35、マシ36 (カシ36)
 マシ35 1〜3(冷房付)
11, 12(旧カシ36←マシ36、冷房付、電気暖房付は+2000)
 マシ36 1, 2(冷房付)
 カシ36 1, 2(旧マシ36、冷房付)
 マシ35形は戦後初の新製食堂車で、1951(昭和26)年に日本車輌で3両製造された。車体形状はスハ43系と同様の切妻車体であるが、幕板の継ぎ方は在来の方法と異なり(ウィンドヘッダーの形状が異なる)、台車はTR47の枕バネを4連化したTR46を使用している。窓枠は金属製で、室内は淡クリーム色をベースとした色彩など近代的なアコモデーションであるが、室内配置は戦前製食堂車とほぼ同じであるため定員は30名となっている。1953(昭和28)年にはカシ36形2両が改造されマシ35 11,12に編入されて総数5両となり、特急「つばめ」「はつかり」などで使用された。1961(昭和36)年に五稜郭、小倉工で側窓の複層ガラス固定窓化、資材搬入口の設置、蛍光灯化などの近代化工事を施工し、晩年は東北線と北海道内の急行で使用されたが、1970(昭和45)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

 マシ36形はマシ35形と同時期に製造された食堂車で、1951(昭和26)年に川崎車輌で2両製造された。調理室に電気レンジ、電気冷蔵庫、電気湯沸しタンクを備えたためマシ35形とは別形式で登場したが、冷房装置の改良等で自重が増えたため 1952(昭和27)年にカシ36形に改番し、さらに1953(昭和28)年に電気レンジを石炭レンジに、電気冷蔵庫を氷冷蔵庫に交換したためマシ35 10番代に形式変更されて形式消滅となった。

<形式変遷表>
 マシ35 1〜3(1951)
 マシ36 1,2 (1951)─→ カシ36 1,2(1952)─→ マシ35 11,12(1953)



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◆スハシ44
 スハシ44 1(旧スハフ44)
 JR北海道に引き継がれたスハフ44形を改造したカフェカーで、1988(昭和63)年に五稜郭車両所で1両改造された。改造では車掌室と座席6ボックス分を撤去し、カウンターと厨房を設けた。車体は車掌室の窓が埋められた程度で原形のままとなっている。札幌に配置され1995(平成7)年まで小樽〜ニセコ間の「C62ニセコ」で使用され、運転終了とともに廃車となり苗穂工で保管されていたが、1999(平成11)年に車籍復帰となり 塗色を茶色に変更して深川〜留萌間の「SLすずらん」などで使用している。

スハシ44 1
スハシ44 1(札サウ
小樽駅、1992年 5月 5日

 <車両履歴>
  スハフ44 2 (1952年/新製)
    ↓
  スハシ44 1 (1987年/改造)



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◆オシ16
 オシ16 1〜3(旧スロ32, スロ34)
2004〜2006(旧スロ33, スロ34, スハ32、電気暖房付)
 遊休となっていたスロ34形などの二重屋根(ダブルルーフ)車の台枠を利用して軽量構造の車体を新製した夜行寝台急行のビュフェ用の食堂車で、1962(昭和37)年に長野、高砂工で一般形 3両、東北地区向け電気暖房付きの2000番代 3両、合計6両が改造された。夜食と朝食を供するサロンカーのため、室内は3分割され中央部に電子レンジ、冷蔵庫、調理台を備えたサービスカウンター、その前後に4人テーブルと窓に沿った長手テーブルからなるサロン室となっている。車体幅はナハネ10形と同様の2950mmに拡大し車体裾は絞っており、台車は種車のTR23をスハ43形またはスハニ35形のTR47と振り替えて使用している(2000番代は重量増加を抑えるため種車のTR23台車のまま)。東海道・山陽線や東北線の寝台急行に使用されたが、1972(昭和47)年改正の急行列車の特急格上げにより 1973(昭和48)年に全車廃車となり形式消滅した。

オシ16 2
オシ16 2(大ミハ 大阪駅、1962年 6月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スロ30755 (1930年/新製)
    ↓
  スロ34 6 (1941年/改番)
    ↓
  オシ16 2 (1962年/改造)



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◆オシ17
 オシ17 1〜25(旧スイテ38,スイテ48,マイ98,マイフ29,マロネ29,マロネ49,スシ48,マハ29、電気暖房付は+2000)
2051〜2055(旧マハ29、電気暖房付)
 遊休となっていた展望車、1等車などの3軸ボギー車(スイテ38スイテ48・マイ98・マイフ29・マロネ29・マロネ49スシ48・マハ29形)の台枠を利用して軽量構造の車体を新製した食堂車で、1956〜1961(昭和31〜36)年に長野、高砂工で一般形 25両、東北地区向け電気暖房付きの2050番代 5両、合計30両が改造された。室内配置は従来の食堂車とほぼ同じとなっているが、車体幅がナハネ10形と同様の2950mmに拡大したため左右両側に4人テーブルを配することが可能となり、定員は戦前製食堂車やマシ35形の30名から40名に増加した。台車はシュリーレン形のTR53(オシ17 10はTR53の枕バネを空気バネとしたTR57)を使用している。製造当初は「つばめ」「はと」などの特急列車で使用されたが、特急の電車化等により急行列車に転用されて旧形食堂車の置換用として各地で使用されたが、1968(昭和43)年からの急行列車の特急格上げによる余剰、また1972(昭和47)年の北陸トンネル火災事故により全車使用停止となった。1974(昭和49)年に2両が教習車オヤ17形に改造され、証拠物件として残された事故車(オシ17 2018)以外は1974(昭和49)年までに廃車となった。残った事故車も1981(昭和56)年に廃車となり形式消滅となった。

オヤ17 1
オヤ17 1(秋アキ
秋田運転区、1986年 9月16日

 <車両履歴>
  マロネ29 101(1953年/改番)
    ↓
  マハ29 106 (1954年/改造)
    ↓
  オシ17 2055 (1959年/改造)
    ↓
  オヤ17 1  (1974年/改造)


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