寝台車 (Part1)
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◆マイネ37、マイネフ37 (マイネ29、マイネフ29、マロネ48、マロネフ48)
 マイネ37 1〜8(ダブルルーフ車、旧マイネ37100〜37107)
 マイネ29 1〜6(ダブルルーフ車、旧マイネ37)
 マロネ48 1〜6(ダブルルーフ車、旧マイネ29←マイネ37)
 マイネ37形は鋼製客車初の1等寝台車(コンパート式)で、1928(昭和3)年に大宮、大井工で8両製造された。車体形状は大形木製客車の外板を鋼製化した構造となっており、二重屋根(ダブルルーフ)に小さな客窓(上下寸法660mm)、魚腹形台枠にTR71台車となっている。車内配置は前位から順に便所、喫煙室、4人用区分寝室(コンパート、3室)、2人用区分寝室(コンパート、4室)、便所・給仕室となっている。製造当初はマイネ48120〜48127という車号であったが、1928(昭和3)年にマイネ37100〜37107に改番され、さらに1941(昭和16)年にマイネ37 1〜8に改番された。戦前は東京〜神戸間の急行などで使用されたが、戦時改造により2両が1944(昭和19)年に格下げされて3等車マハ37形となり、残りの6両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され区分室寝台車として使用された。接収解除による返還後は大阪〜佐世保間の連合軍専用「特殊列車」で使用され、1953(昭和28)年の3軸ボギー車の称号改正によりマイネ29 1〜6に改番され、さらに1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等A寝台車となりマロネ48 1〜6に改番された。その後も1959(昭和34)年まで東京〜博多間の急行「早鞆」「筑紫」で使用されたが、1962(昭和37)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

<形式変遷表>
 マイネ37100(1928)──→ マイネ37 1〜8(1941)──→ マイネ29 1〜6(1953)──→ マロネ48 1〜6(1955)
     〜37107        │
                └→ マハ37 1,2(1944)─→ マハ29 1,2(1953)


 マイネフ37 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイネフ37200〜37203)
 マイネフ29 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイネフ37)
 マロネフ48 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイネフ29←マイネフ37)
 マイネフ37形マイネ37形に緩急設備を設けたコンパート式の1等寝台緩急車で、1928(昭和3)年に大宮工で4両製造された。車体形状はマイネ37形と同様で、二重屋根(ダブルルーフ)に小さな客窓(上下寸法が660mm)、魚腹形台枠にTR71台車となっている。車内配置は前位から順に便所、喫煙室、4人用区分寝室(コンパート、2室)、2人用区分寝室(コンパート、5室)、便所・給仕室、車掌室となっている。製造当初はマイネフ48260〜48263という車号であったが、1928(昭和3)年にマイネフ37200〜37203に改番され、さらに1941(昭和16)年にマイネフ37 1〜3に改番された(マイネフ37200はすでに廃車)。戦前は東海道・山陽線や東北線の急行で使用されたが、戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され区分室寝台車として使用された。接収解除による返還後は大阪〜博多間の連合軍専用「特殊列車」で使用され、1953(昭和28)年の3軸ボギー車の称号改正によりマイネフ29 1〜3に改番され 東京〜博多間の急行「西海」で使用されたが、1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等A寝台車となりマロネフ48 1〜3に改番され、1960(昭和35)年に全車廃車となり形式消滅となった。

<形式変遷表>
 マイネフ37200(1928)─→ マイネフ37 1〜3(1941)─→ マイネフ29 1〜3(1953)─→ マロネフ48 1〜3(1955)
     〜37103


マイネ37 3
マイネ37 3(軍番号 1002) 大阪駅、1951年 6月23日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイネ48122 (1928年/新製)
    ↓
  マイネ37102 (1928年/改番)
    ↓
  マイネ37 3 (1941年/改番)
    
  マイネ29 2 (1953年/改番)
    ↓
  マロネ48 2 (1955年/格下げ)
マイネフ37 1
マイネフ37 1(軍番号 1101) 大阪駅、1951年 6月11日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイネフ48260 (1928年/新製)
    ↓
  マイネフ37200 (1928年/改番)
    ↓
  マイネフ37 1 (1941年/改番)
    
  マイネフ29 1 (1953年/改番)
    ↓
  マロネフ48 1 (1955年/格下げ)



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◆マイネ38、マイネフ38 (マロネ49、マロネフ49)
 マイネ38 1〜5(ダブルルーフ車、旧マイネ37130〜37134)
 マロネ49 1〜5(ダブルルーフ車、旧マイネ38)
 マイネ38形マイネ37形に続いて製造されたコンパート式の1等寝台車で、1930(昭和5)年に大宮工で5両が製造された。車体形状はマイネ37形と同じで 二重屋根(ダブルルーフ)となっているが、同時期に製造されたスハ32系などのように側窓の上下寸法が735mmに拡大され、台車もTR73に変更されている。車内配置は前位から順に便所、2人用特別室(1室、後に3人用に変更)、2人用区分寝室(コンパート、3室)、4人用区分寝室(コンパート、2室)、喫煙室、給仕室・洗面所・便所となっている。製造当初はマイネ37130〜37134という車号であったが、1941(昭和16)年にマイネ38 1〜5に改番された。戦前は東京〜下関間の特急「富士」で使用されたが、戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され区分室寝台車または病院車として使用された。接収解除による返還後は東京〜大阪、東京〜仙台間の連合軍専用「特殊列車」で使用され、1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等A寝台車となりマロネ49 1〜5に改番され、その後も東京〜大阪間の急行「彗星」などで使用されたが、1960(昭和35)年に全車オシ17形に改造されたため形式消滅した。

<形式変遷表>
 マイネ37130 (1930)──→ マイネ38 1〜5(1941)──→ マロネ49 1〜5(1955)─→ オシ17(1960)
    〜37134


 マイネフ38 1〜5(ダブルルーフ車、旧マイネフ37230〜37234)
 マロネフ49 1〜5(ダブルルーフ車、旧マイネフ38)
 マイネフ38形マイネフ37形に続いて製造されたコンパート式の1等寝台緩急車で、1930(昭和5)年に大宮、大井工で5両が製造された。車体形状はマイネ38形と同様に二重屋根(ダブルルーフ)で、側窓の上下寸法が735mmと大きく、台車はTR73を使用している。車内配置は前位から順に給仕室・洗面所・便所、喫煙室、2人用区分寝室(コンパート、8室)、便所・車掌室となっている。製造当初はマイネフ37230〜37234という車号であったが、1941(昭和16)年にマイネフ38 1〜5に改番された。戦前は東京〜神戸間の急行で使用されたが、戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され区分室寝台車として使用された。接収解除による返還後は東京〜札幌間の連合軍専用「特殊列車」で使用され、1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等A寝台車となりマロネフ49 1〜4に改番され、その後も急行「十和田」などで使用されたが、1962(昭和37)年までに全車廃車となり形式消滅した。

<形式変遷表>
 マイネフ37230 (1930)─→ マイネフ38 1〜5(1941)─→ マロネフ49 1〜4(1955)
     〜37234


マイネ38 3
マイネ38 3(軍番号 1203) 大阪駅、1951年 6月23日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイネ37132 (1928年/新製)
    ↓
  マイネ38 3 (1941年/改番)
    
  マロネ49 3 (1955年/格下げ)
    ↓
  オシ17 17  (1955年/改造)
    ↓
  オシ17 2017 (1962年/電暖化)



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◆マイネロ37、マイネロフ37 (マイネロフ29)
 マイネロ37 1(ダブルルーフ車、旧マイネロ37260)
 マイネロフ37 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイネロフ37261〜37263)
 マイネロフ29 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイネロフ37)
 コンパート式の1等寝台と転換クロスシート式の2等座席からなる1等寝台2等車で、1931(昭和6)年に鷹取工で4両製造された。車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)にTR73台車で同時期のほかの車両と同様である。車内配置は前位から順に給仕室・便所・洗面所、喫煙室、2人用区分寝室(コンパート、3室)、4人用区分寝室(コンパート、1室)、2等室(定員24名)、便所・洗面所となっている。製造当初はマイネロ37260〜37263という車号で、函館〜旭川間の急行で使用されていたが、1934(昭和9)年に同線の1等寝台車の連結廃止により 3両が緩急設備を取り付けマイネロフ37261〜37263に改造され、その後は不定期特急「つばめ」「かもめ」に使用された。1941(昭和16)年の称号改正で、それぞれマイネロ37 1マイネロフ37 1〜3に改番され、戦後はほかの優等車とともに進駐軍に接収され4両とも特別車として使用された。接収解除による返還後は、マイネロ37 1は職用車マヤ57 1(後のマヤ57 51 → マヤ38 51)に改造され、マイネロフ37 1〜3は 1953(昭和28)年の3軸ボギー車の称号改正によりマイネロフ29 1〜3に改番された。1954(昭和29)年、マイネロフ29 1,2は2等室を開放長手式寝台に改造して2等寝台車マロネフ38形となり、マイネロフ29 3はマイフ29 1となり形式消滅した。

<形式変遷表>
 マイネロ37260 (1931)─→ マイネロ37 1(1941)─→ マヤ57 1(1951)─→ マヤ37 51(1952)─→ マヤ38 51(1953)
   │  〜37263
   ↓
 マイネロフ37261(1940)─→ マイネロフ37 1〜3(1941)─→ マイネロフ29 1〜3(1953)─→ マイフ29 3(1953)─→ オシ17(1956)
      〜37263                       │
                                 └─→ マロネフ38 11,12(1954)



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◆マイロネフ37
 マイロネフ37 1〜3(ダブルルーフ車、旧マイロネフ37280〜37282)
 コンパート式の1等寝台と開放長手式の2等寝台からなる1等2等寝台緩急車で、1930〜1931(昭和5〜6)年に小倉工で3両が製造された。車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)にTR73台車で同時期のほかの車両と同様である。車内配置は前位から順に洗面所・便所、2人用区分寝室(コンパート、2室)、4人用区分寝室(コンパート、1室)、喫煙室・給仕室、2等寝室(開放長手式、定員12名)、洗面所・便所・車掌室となっている。製造当初はマイロネフ37280〜37282という車号であったが、昭和16(1941)年にマイロネフ37 1〜3に改番された。戦前は東京〜敦賀港間(欧亜連絡用)の急行で使用されていたが、戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され合造寝台車として使用された。接収解除による返還後は横浜〜青森間の連合軍専用「特殊列車」で使用されたが、1955(昭和30)年に1等寝台車の需要減に伴い2等AC寝台車に格下げされてマロネフ38形に改番されたため形式消滅した。

<形式変遷表>
 マイロネフ37280(1930)─→ マイロネフ37 1〜3(1941)─→ マロネフ38 1〜3(1953)─→ マロネフ58 1〜3(1955)
     〜37282

マイロネフ37 3
マイロネフ37 3(軍番号 1708) 大阪駅、1951年 3月24日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイロネフ37282 (1931年/新製)
    ↓
  マイロネフ37 3 (1941年/改番)
    
  マロネフ38 3  (1953年/格下げ)
    ↓
  マロネフ58 3  (1955年/改番)


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◆マイロネフ38 (スイロネ37、マイロネ39、マロネ58、マロネフ59)
 マイロネフ38 1〜3(旧マイロネフ37290〜37292)
 スイロネ37 1〜3(旧マイロネフ38)
 マイロネ39 1(旧スイロネ37)
 マロネ58 1(旧マイロネ39)
 マロネフ59 1(旧マイロネフ38)
 皇族および貴賓客専用として製造された1等2等寝台緩急車で、1938(昭和13)年に鷹取工で3両が製造された。車体形状は丸屋根形(シングルルーフ)となっており、台車はTR73を使用している。車内配置は前位から順に便所・化粧室、喫煙室、1人用区分寝室(コンパート、2室)、備品室、2等寝室(プルマン式、6区画)、洗面所・便所・給仕室・車掌室となっている。製造当初はマイロネフ37290〜37292という車号であったが、1941(昭和16)年にマイロネフ38 1〜3に改番され、戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収され合造寝台車として使用され、1949(昭和24)年に手ブレーキを撤去してスイロネ37 1〜3に改番された。接収解除による返還後は、スイロネ37 1 は昭和27(1952)年に大井工で皇太子用の御料車として整備して御料車14号に改造され、マイロネフ38 2 は昭和28(1953)年に冷房化されてマイロネ39 1に改番された(さらに1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等AB寝台車となりマロネ58 1に改番された)。スイロネ37 3 は昭和28(1953)年に皇太子用の非公式用として手ブレーキを取り付けてマイロネフ38 1に改番され、さらに1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等AB寝台車となりマロネフ59 1に改番された。その後はほとんど使用されることなく、1961(昭和36)年に廃車となり形式消滅した(現在は大阪交通科学館で保存されている)。

<形式変遷表>
 スイロネフ37290〜37292(1938)
    ↓
 マイロネフ38 1〜3(1941)
    ↓
 スイロネ37 1〜3 (1949)−┬→ 御料車14号  (1952)
               ├→ マイロネ39 1 (1953)─→ マロネ58 1 (1955)─→ スヤ39 1(1960)
               └→ マイロネフ38 1(1953)─→ マロネフ59 1(1955)

スイロネ37 2
スイロネ37 2(軍番号 1307) 品川駅、1952年 3月21日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイネ37132  (1928年/新製)
    ↓
  マイロネフ38 2(1941年/改番)
    ↓
  スイロネ37 2 (1949年/改造)
    
  マイロネ39 1 (1953年/改造)
    ↓
  マロネ58 1  (1955年/格下げ)
    ↓
  スヤ39 1   (1960年/改造)


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◆マイネ40 (マロネ40)
 マイネ40 1〜21
 マロネ40 1〜14, 16〜21(旧マイネ40)
 マイネ40形は戦後初の新製1等寝台車で、1948(昭和23)年に日本車輌、川崎車輌で21両製造された。車体形状はオハ35形後期形と同様の折妻車体で、車体帯は連合軍用の白帯と区別するためクリーム帯となっている。車内配置は前位から順に便所、給仕室(第1室)、2人用個室(コンパート、3室)、開放寝室(プルマン式、8区画)、洗面所・便所となっている。台車は製造当初TR34であったが、乗り心地が悪いため1949(昭和24)年からスハ42形スハフ41形のTR40台車と交換し、さらにバネを強化改造したTR40Aを使用している。1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等AB寝台車となりマロネ40形に改番され、1955〜1956(昭和30〜31)年に大船工で車内を改造し、給仕室を第1室とて2人用個室とし、2人用個室の第4室を撤去し喫煙室と給仕室を設置し、前位側の出入台部分に配電室と物置を設置したため出入台が塞がれた。その後も東京・関西〜九州間の急行を中心に使用されたが、1967(昭和42)年に2両が試験車マヤ40形または保健車スヤ42形に改造され、2両が工事車オヤ41形に改造され、残りの車両も1970(昭和45)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

マイネ40 10
マイネ40 10(東シナ 大阪駅、1955年 6月26日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイネ40 10 (1948年/新製)
    
  マロネ40 10 (1955年/格下げ)



TOPPREVNEXTBOTTOM (スハ43系)一等寝台車

◆マイネ41 (マロネ41)
 マイネ41 1〜12
 マロネ41 1〜12(旧マイネ41)
21〜26(旧マロネ410番代←マイネ41)
 マイネ41形マイネ40形の改良増備車として連合軍総司令部民間運輸局(CTS)の要求により製造された1等寝台車で、1950(昭和25)年に川崎車輌、近畿車輌、日本車輌で12両製造された。車体形状はスハ43系と同様の切妻車体で、車内は(プルマン式)開放寝室12区画からなり、台車はTR40Aを使用している。1955(昭和30)年の1等寝台車の廃止により2等B寝台車となりマロネ41形に改番され、1962〜1964(昭和37〜39)年には近代化工事が施工され白熱灯の蛍光灯化や台車の空気バネ化(TR40D)が行われた。そのうち1963〜1964(昭和38〜39)年に大船、高砂工で近代化工事を施工した6両は 側窓が複層ガラス固定窓化されたためマロネ41 21〜26に改番された。その後も東京〜関西・九州間の急行を中心に使用されたが、最後まで残った2両(マロネ41形20番代)が1974(昭和49)年に保健車マヤ43形に改造されたため形式消滅した。

マロネ41 1
マロネ41 1(大ムコ 向日町運転所、1963年 4月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  マイネ41 1 (1950/新製)
    ↓
  マロネ41 1 (1955/格下げ)
    
  マロネ40 21 (1963年/改造)
マヤ43 1
マヤ43 1(大ウメ
梅小路機関区、1986年 1月 5日

 <車両履歴>
  マイネ41 10 (1950/新製)
    ↓
  マロネ41 10 (1955/格下げ)
    ↓
  マロネ41 23 (1964/改造)
    ↓
  マヤ43 1  (1974/改造)


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