寝台車 (Part2)
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◆マロネ37、マロネフ37 (マロネ29、マロネフ29
 マロネ37 1〜43(ダブルルーフ車、旧マロネ37300〜37342)
44〜90(ダブルルーフ車、旧マロネ37350〜37396)
91, 92(ダブルルーフ車、旧マロネ37397, 37398)
93〜138(旧マロネ37400〜37445)
139(ダブルルーフ車、旧マロネフ3724〜27
140(旧マロネロ37)
 マロネ29 1〜7(ダブルルーフ車、旧マロネ371〜43
21〜25(ダブルルーフ車、旧マロネ3744〜90
31(ダブルルーフ車、旧マロネ3792
101〜130(旧マロネ3793〜138
141(旧マロネ37140←マロネロ37)
 マロネ37形は 日本初の鋼製2等寝台車のマロネ37300形とその増備車マロネ37350形、マロネ37400形を統合した形式で、1928〜1941(昭和3〜16)年に138両製造された。1953(昭和28)年に3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29形に改番され、1955(昭和30)年に2等C寝台車となった。一部は緩急車化改造されてマロネフ29形となり、1960(昭和35)年には1等寝台車となったが、1967(昭和42)年までに全車廃車となり形式消滅となった。
 マロネ37 1〜43は日本初の鋼製2等寝台車で、1928〜1929(昭和3〜4)年に日本車輌、川崎車輌および大宮、鷹取、小倉工で43両製造された。車体形状は大形木製客車の外板を鋼製化した構造となっており、二重屋根(ダブルルーフ)に小さな客窓(上下寸法660mm)、魚腹形台枠にTR71台車となっている。車内配置は前位から順に洗面所・喫煙室・給仕室、寝室(開放長手式2段寝台、28名)、便所となっている。1928(昭和3)年10月以前に製造された33両は当初マロネ48500〜48532という車号であったが、同年 マロネ37300〜37332に改番され、さらにマロネ37333〜37342が増備され、1941年(昭和16)年の称号改正でマロネ37 1〜43に改番された。1944〜1945(昭和19〜20)年に戦時改造により36両が格下げされて3等車マハ47形(後のマハ29形)となったが、残りの7両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収された。1951(昭和26)年以降、寝台車の接収解除とともに返却された後は、1953(昭和28)年、3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29 1〜7に改番された。その後も急行「あき」「あそ」などで使用されたが、1962(昭和37)年までに全車廃車となり区分消滅となった。

 マロネ37 44〜90はマロネ37300形(後のマロネ37 1〜43)に引き続き製造された2等寝台車で、1930〜1931(昭和5〜6)年に日本車輌、川崎車輌および鷹取、小倉工で47両製造された。車体形状および窓配置はマロネ37 1〜43と同じで 二重屋根(ダブルルーフ)となっているが、同時期に製造されたスハ32系などのように側窓の上下寸法が735mmに拡大され、台車はTR73に変更されている。製造当初はマロネ37350〜37396という車号であったが、昭和16(1941)年にマロネ37 44〜90に改番された。戦時改造により42両が1944〜1945(昭和19〜20)年に格下げされて3等車マハ47形(後のマハ29形)となったが、残りの5両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収された。1951(昭和26)年以降、寝台車の接収解除とともに返却された後は、1953(昭和28)年、3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29 21〜25に改番された。その後も東京〜長崎間の急行「雲仙」などで使用されたが、1963(昭和38)年までに全車廃車となり区分消滅となった。

 マロネ37 91, 92は洗面所と便所の位置が変更となり増備された2等寝台車で、1931(昭和6)年に大井工で2両製造された。車内配置は前位から順に洗面所・喫煙室・便所・給仕室、寝室(開放長手式2段寝台、28名)、便所・洗面所となっている。製造当初はマロネ37397, 37398という車号であったが、昭和16(1941)年にマロネ37 91, 92に改番された。戦時改造により1両が1944(昭和19)年に格下げされて3等車マハ47形(マハ47 91)となったが、残りの1両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収された。寝台車の接収解除とともに返却された後は、1953(昭和28)年、3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29 31に改番された。その後も急行「早鞆」などで使用されたが、1962(昭和37)年に廃車となり区分消滅となった。

 マロネ37 93〜138はマロネ37350形(後のマロネ37 44〜92)に引き続き製造された日本初の丸屋根形2等寝台車で、1933〜1941(昭和8〜16)年に日本車輌、川崎車輌、田中車輌および大井工で46両製造された。車体形状は丸屋根形(シングルルーフ)となっており、台車はTR73を使用している。製造当初はマロネ37400〜37445という車号であったが、昭和16(1941)年にマロネ37 93〜138に改番された。戦時改造により15両が1944〜1945(昭和19〜20)年に格下げされて3等車マハ47形(後のマハ29形)となり、1両は戦災により廃車となったが、残りの30両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収された。1951(昭和26)年以降、寝台車の接収解除とともに返却された後は、1953(昭和28)年、3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29 101〜130に改番された。その後も東海道・山陽本線や東北本線の急行で使用されたが、1963(昭和38)年に2両(マロネ29 113, 114)が緩急車化改造されマロネフ29形(マロネフ29 111, 112)となり、残りの28両も1967(昭和42)年までに廃車となり形式消滅となった。

 マロネ37 139, 140は他形式からの改造編入車で、1946(昭和21)年にマロネフ37形(マロネフ37 25)を大宮工で改造したマロネ37 139が新製車マロネ37 138の追番として編入され(後にマロネフ37 25に復元改造された)、続いてマロネロ37形(マロネロ37 32)から改造したマロネ37 140が編入された。1953(昭和28)年、マロネ37 140は3軸ボギー車の称号改正によりマロネ29 141に改番されたが、1956(昭和31)年に2等寝台2等車マロネロ38形(マロネロ38 14)に復元改造されたため区分消滅した。

マロネ29 3
マロネ29 3(大ミハソ 京都駅、1955年 7月13日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マロネ37398 (1931年/新製)
    ↓
  マロネ37 92 (1941年/改番)
    ↓
  マロネ29 3 (1953年/改番)
マロネ29 31
マロネ29 31(東シナ 大阪駅、1955年 6月26日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マロネ37398 (1931年/新製)
    ↓
  マロネ37 92 (1941年/改番)
    ↓
  マロネ29 31 (1953年/改番)
マロネ29 101
マロネ29 101(分オイ 京都駅、1963年 4月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  マロネ37405 (1935年/新製)
    ↓
  マロネ37 98 (1941年/改番)
    ↓
  マロネ29 101 (1953年/改番)


 マロネフ37 1〜23(ダブルルーフ車、旧マロネフ37500〜37522)
24〜27(ダブルルーフ車、旧マロネフ37550〜37553)
28〜30(旧マロネフ37560〜37562)
 マロネフ29 1〜4(ダブルルーフ車、旧マロネフ37)
11〜13(ダブルルーフ車、旧マロネフ37)
101, 102(旧マロネフ37)
111, 112(旧マロネ29←マロネ37)
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◆マロネ38
 マロネ38 1〜7(旧マロネ37480〜37486)
 1934(昭和9)年に連結廃止となった上野〜青森(常磐線経由)間と函館〜旭川間の1等寝台車(マイネロ37260形)の代替用として製造された特別室付き2等寝台車(後の2等C寝台車→1等寝台車)で、1935〜1936(昭和10〜11)年に日本車輌、川崎車輌で7両製造された。寝室は4人用区分室(特別室)と開放長手式2段寝台からなり、車内配置は前位から順に出入台、便所・給仕室、寝室(4人用区分室、定員8名)、喫煙室・洗面所、寝室(開放長手式、定員16名)、便所、出入台となっている。車体は丸屋根形にTR73台車で同時期に製造された車両と同様となっている。製造当初はマロネ37480〜37486という車号で、上野〜青森間と函館〜稚内港間の急行でそれぞれ使用されたが、昭和16(1941)年にマロネ38 1〜7に改番された。戦後はほかの優等車とともに進駐軍に接収され、特別車、合造寝台車、病院車として使用された(その際 マイロネ38形に改番)。1949(昭和24)年以降、寝台車の接収解除とともに返却された後は 急行「十和田」「きりしま」「雲仙」などで使用され、その後は急行「伊勢」「大和」「霧島」で使用された。1961(昭和36)年以降は波動輸送用として使用されたが、1964(昭和39)年に全車廃車となり形式消滅となった。

マロネ38 6
マロネ38 6(東シナ 大阪駅、1962年 6月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  マロネ37485 (1935年/新製)
    ↓
  マロネ38 6 (1941年/改番)



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◆マロネ39
 マロネ39 1〜3(旧マハ47)
 戦時改造により格下げされていたマハ47形(旧マロネ37形)を改造した戦後初の日本人向けの寝台車(2等寝台車、後の2等C寝台車→1等寝台車)で、1950(昭和25)年に長野工で3両改造された。車体形状は種車のまま丸屋根形となっているが、室内は横手式2段寝台・側通路形の4人用区分室に変更された。車内配置は前位から順に洗面所・便所、寝室(4人用区分室、32名)、給仕室、出入台となっており、前位側の出入台部分は洗面所・便所が設置されているため扉が塞がれている。品川に配置され東京〜神戸間の急行「銀河」に使用され、その後は東京〜九州間の急行「きりしま」「西海」などに使用されたが、オロネ10形の新製増備とともに波動輸送用に転用され、1962(昭和37)年に全車廃車され形式消滅した。

マロネ39 1
マロネ39 1(大ミハソ 大阪駅、1955年 6月26日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マロネ37410 (1937年/新製)
    ↓
  マロネ37 103 (1941年/改番)
    ↓
  マハ47103  (1944年/格下げ)
    ↓
  マロネ39 1  (1950年/改造)



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◆マロネフ38 (マロネフ58)
 マロネフ38 1〜3(旧マイロネフ37)
11, 12(旧マイネロフ29←マイネロフ37)
 マロネフ58 1〜3(旧マロネフ38←マイロネフ37)
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◆マロネロ37 (マロネロ38)
 マロネロ37 1〜35(旧マロネロ37600〜37634)
 マロネロ38 1〜6, 9〜16(旧マロネロ37)
21, 22(旧マロネロ37、北海道向け)
 長距離普通列車の木造寝台車の置換用として製造された2等寝台2等車で、1936〜1939(昭和11〜14)年に川崎車輌、日本車輌および大宮工で35両製造された。車体は丸屋根形にTR73台車となっており、室内はマロネ37形の開放式長手寝台とオロ35形の転換クロスシート式の2等室を併せた構造となっている。車内配置は前位から順に給仕室・喫煙室・便所・洗面所、2等寝室(長手式寝台、12名)、2等室(定員32名)、便所・洗面所となっている。製造当初はマロネロ37600〜37634という車号であったが、昭和16(1941)年にマロネロ37 1〜35に改番された。1944(昭和19)年、戦時改造により16両が格下げされて3等車マハ47形となり、1両は戦災により廃車となったが、残りの--両は戦後ほかの優等車とともに進駐軍に接収された。接収中に1両がマロネ37形(マロネ37 140)へ改造され、1両がスイ37形(後のマイ37形)へ改造され、2両がマロ37形(後のマロ38形)へ改造された。寝台車の接収解除により返却された後は、1953(昭和28)年の3軸ボギー車の称号改正のときに欠番を整理してマロネロ38形(マロネロ38 1〜6,9〜13,15,16,21,22)に改番された。欠番のマロネロ38 7, 8は 接収中にマロ37形に改造された2両をマロネロ38形に復元改造することを考慮したためであるが、後に実現しなかった。1956(昭和31)年には マロネ37形(当時はマロネ29形に改番)に改造されていた1両を復元改造してマロネロ38 14に編入した。マロネロ38 21, 22は二重窓を装備した北海道向けの車両であるが、マロネロ38 22は接収中にスイ37形(当時はマイ37形に改番)に改造されていた1両を改番したものである。その後も、全国的に亜幹線の急行等で使用されたが、1966(昭和41)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

<形式変遷表>
                    マロネ37 140(194-)───→ マロネ29 141 (1953)───┐
                      ↑                         ↓
                      │                       マロネロ38 14(1956)
 マロネロ37600〜37634(1936)─→ マロネロ37 1〜35(1941)──────┬→ マロネロ38 1〜6,9〜13,15,16(1953)
                   │  │             └→ マロネロ38 21 (1953)
                   │  │             ┌→ マロネロ38 22 (1953)
                   │  │            マロネロ37 35(1953)
                   │  │             ↑
                   │  ├→ スイ37 1 (1945)→ マイ37 1 (1949)
                   │  └→ マロ37 1,2 (1946)────→ マロ38 1,2(1953)
                   │
                   └→ マハ47 136〜146,149〜153(1944)→ マハ29 151〜162 (1953)→ オシ17(1957)
                        └→ マハネ37 14,15(1950)→ マハネ29 151,152(1953)→ オシ17(1957)

マロネロ38 6
マロネロ38 6(東シナ 京都駅、1956年 -月

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マロネロ37622 (1937年/新製)
    ↓
  マロネロ37 23 (1941年/改番)
    ↓
  マロネロ38 6 (1953年/改番)


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◆スロネ30
 スロネ30 1〜10
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◆スハネ30、スハネ31、スハネフ30
 スハネ30 1〜7, 9(旧スハネ30000〜30009)
 スハネ31 1〜5, 8〜12, 15〜17, 20, 21, 28, 29, 31〜110(旧スハネ30100〜スハネ30209)
 スハネ30 1〜67(旧オハ34)
2101〜2132(旧オハ34、電気暖房付)
 スハネフ30 1〜3(旧オハ34)
 日本初の3等寝台車スハネ30000形(後のスハネ30形〈初代〉)とその増備車スハネ31000形(後のスハネ31形)は 1930〜1937(昭和5〜12)年に120両製造された。戦時中に3等車オハ34形に格下げ改造されていたが、1959〜1962(昭和34〜37)年に復元改造されてスハネ30形(2代)とスハネフ30形となった。
 スハネ30形(初代)は日本初の3等寝台車で、1930〜1931(昭和5〜6)年に10両製造された。車体構造は 寝台空間を確保するために鋼製客車として初めて丸屋根形を採用しており、寝台は枕木方向に固定式の3段寝台(寝台長さ1900mm、寝台幅520mm)が配置されている。車内配置は前位から順に便所、寝室(3等寝台54名)、便所・洗面所となっている。製造当初はスハネ30000〜30009という車号で、東京〜下関間の特急「桜」や東京〜神戸間の急行で使用されたが、1941(昭和16)年に8両はスハネ30 1〜7, 9に改番され、さらに同年7月に3等寝台車の廃止に伴い全車とも3等車オハ34形(オハ34 13〜22、2両はスハネ30改番前にオハ34形に改造)に格下げ改造(編入)された。このため一時的にスハネ30形は形式消滅したが、1959〜1962(昭和34〜37)年にスハネ30形(2代)スハネフ30形に復元改造された。

 スハネ31形はスハネ30000形(後のスハネ30形)に引き続き製造された3等寝台車で、1931〜1937(昭和6〜12)年に110両製造された。スハネ30形(初代)の改良形で、車体高さを40mm高くして寝台上段の居住空間が広げられ、客室通路の幅が45mm広げられ(その分寝台長さが短くなった)、寝台にはカーテンが取り付けられた。製造当初はスハネ30100〜30209という車号で、東京〜下関間の特急「富士」や全国の主要列車(四国を除く)に使用されたが、1941(昭和16)年にスハネ31 1〜110に改番され(13両はスハネ31改番前にオハ34形へ改造)、さらに同年7月に3等寝台車の廃止に伴い全車とも3等車オハ34形 (オハ34 23〜132)に改造(編入)され形式消滅した。その後、1959〜1962(昭和34〜37)年に3等寝台車スハネ30形(2代)スハネフ30形に復元改造された。

 スハネ30形(2代)は 当時不足状態であった3等寝台車ナハネ11形の増備車として 戦時改造により3等寝台車から3等車に格下げられていたオハ34形(旧スハネ30(初代)・スハネ31形)を寝台車に復元改造した3等寝台車(後の2等寝台車→B寝台車)で、1959〜1962(昭和34〜37)年に土崎、幡生工で一般形の0番代 67両、電気暖房付きの2100番代 32両(一部は100番代で登場)、合計99両が製造された。室内は当時の新製車ナハネ11形などと同様の仕様であり、片デッキ式に変更され、寝台設備や便所、洗面所などはナハネ11形と同じ近代化されたものになっている。台車はTR23Dを使用しているが、後に13両は台車をスロ54形のTR40Bと交換している。札幌、尾久、品川、宮原、熊本などに配置され 全国の急行列車で使用されたが、1974(昭和49)までに廃車され形式消滅した。

 スハネフ30形は オハ34形(旧スハネ30形(初代)・スハネ31形)を改造した2等寝台(後のB寝台)緩急車で、1962(昭和37)年に幡生工で3両改造された。車内配置はスハネ30形(2代)に準じているが、給仕室部分は車掌室に変更され、緩急設備が取り付けられている。品川に配置され(後に宮原へ転属) 観光団体専用列車用として使用されたが、1973(昭和48)に廃車され形式消滅した。

<形式変遷表>
 スハネ30000〜30009(1930)─┬─→ オハ34 13,14,29〜35,93(1941)──────┬──→ スハネフ30 1 (1962)
               │    ↑                   │
               └→ スハネ30 1〜7,9(1941)           ├──→ スハネ30 1〜67,2101〜2132(1959)
                                        │
 スハネ30100〜30209(1931)─┬─→ オハ34 1〜28,36〜92,9〜110(1941)────┴──→ スハネフ30 2,3(1962)
               │    ↑
               └→ スハネ31 1〜5,8〜12,15〜17,20,21,28,28,31〜110(1941)

スハネ30 50
スハネ30 50(札サウ 釧路客貨車区、1974年 3月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スハネ30132 (1933年/新製)
    ↓
  スハネ31 33 (1941年/改番)
    ↓
  オハ34 49  (1942年/格下げ)
    ↓
  スハネ30 50 (1961年/改造)

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