高松地区(予讃本線高松〜観音寺、土讃本線多度津〜琴平間)の電化開業用として登場した近郊形121系直流電車の制御電動車で、1986〜1987(昭和61〜62)年に日立製作所、近畿車輌、川崎重工業、東急車輌で19両製造された。1M方式のクモハ105形0番代を基本とした3扉車体となっているが、車体は205系電車と同様の軽量ステンレス製となり、座席はセミクロスシートとなっている(定員118名)。車体各部に廃車発生品が使用されており、主電動機は103系電車などで使用されている110kWのMT55Aを使用し、電動発電機(MG)はサシ481・サシ581形からの発生品(70kVA)を搭載し(後に17両は90kVAのSIVへ交換)、台車はDT33Aを使用している。冷房装置はAU75より容量を小さくしたAU79Aを搭載しており、パンタグラフはPS16を使用している(後にS-PS58へ交換)。クハ120形とともに高松に配置され、2両を基本編成として高松〜観音寺・琴平間で使用されたが、現在は予讃本線の電化区間の拡大により高松〜伊予西条・琴平間で使用されている。なお、登場当初の車体帯色は赤20号(ローズピンク)であったが、JR移行後はJR四国のコーポレートカラーの青26号(ライトブルー)に変更された。 |