戦災復旧車(オハ70系)
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◆オハ70
 オハ70 1〜114(63は欠番)
 戦後の車両不足を補うために戦災を受けた17m級車両を復旧した戦災復旧車で、1946〜1949(昭和21〜24)年に113両製造された。モハ30・31・50系電車、オハ31系客車を応急復旧しているため、車体構造は切妻形、半切妻形(折妻形)または丸屋根形の3タイプが存在する。出入口は元電車は3カ所、元客車は2カ所となっており、いずれも引き戸式となっている。台車はTR11を使用している。1950(昭和25)年に34両がスニ73形に改造され、1952〜1953(昭和27〜28)年に79両がスニ75形に改造されたため形式消滅となった。

<形式変遷表>
オハ70 1〜114(1946)──┬─→ スニ73 1〜34(1950)
             │    │
             │    ├────→ オエ70(1961)
             │    └────→ オヤ70(1962)
             │
             └─→ スニ75 1〜79,91〜111(1952)
                   ├──→ スニ75 151(1953)
                   │
                   └────→ オエ70(1961)


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◆オハ71
 オハ71 1〜133(132は欠番)
500〜522
 戦後の車両不足を補うために戦災を受けた20m級車両を復旧した戦災復旧車で、1946〜1948(昭和21〜23)年に 0番代132両、500番代23両、合計155両が製造された。
 オハ71 1〜131, 133は モハ51系電車、スハ32系客車等を応急復旧した標準タイプで、出入口が引き戸式で3カ所となっている。車体構造は切妻形、半切妻形(折妻形)または丸屋根形の2タイプが存在し、台車はTR11またはTR23を使用している。1950〜1951(昭和25〜26)年に46両がマニ74形に改造され、1951(昭和26)年に10両がオユニ71形に改造され、1952〜1953(昭和27〜28)年に41両がマニ76形に改造され、さらに1953〜1954(昭和28〜29)年に35両がスユニ72形に改造されたため形式消滅となった。

 オハ71 500〜522は スハ32形やオハ35形などの20m客車を応急復旧したグループで、1947〜1949(昭和22〜24)年に日本車輌で22両復旧された。車体中央に2カ所の出入口を新設している。車体は端部を絞った半切妻形(折妻端狭形)で、側窓はスハ32系と同じ狭窓タイプ(18両)またはオハ35系の広窓タイプ(2両)である。台車はTR11、TR23またはTR34を使用している。1947〜1949(昭和22〜24)年に20両がオハユニ71形に改造され、さらに残った3両も1953〜1954(昭和28〜29)年にスユニ72形に改造されたため形式消滅となった。

<形式変遷表>
オハ71 1〜133(1946)──┬─→ マニ74 1〜14,50〜81(1950)
             │    ├────→ スエ71(1961)
             │    └────→ オル71(1961)
             │
             ├─→ マニ76 1〜37,41,91〜93(1952)
             │    └────→ スエ71(1961)
             │
             ├─→ オユニ71 1〜10(1951)
             │    └────→ スエ71(1962)
             │
             └────→ スユニ72 2〜30,33,51〜55(1953)
                       └──→ スエ71(1962)

オハ71 500〜522(1947)─┬─→ オハユニ71 1〜20(1950)
             │    ├────→ オル71(1961)
             │    └────→ スエ71(1962)
             │
             └────→ スユニ72 1,31,32(1953)
                       └──→ スエ71(1964)


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◆オハ77 (オハ78)
 オハ77 1〜30(24は欠番)
 オハ78 1〜30(旧オハ77、24は欠番)
 オハ77形は戦後の車両不足を補うために戦災を受けたマハ47形(優等車からの格下げ車)などの20m3軸ボギー客車を復旧した戦災復旧車で、1946〜1948(昭和21〜23)年に多度津工などで29両製造された。車体構造はオハ71形の元客車標準タイプと全く同一で、半切妻形(折妻形)または丸屋根形の2タイプが存在する。台車は優等車時代のTR71またはTR73を使用している。1953(昭和28)年、3軸ボギー車の称号改正により全車オハ78形に改番され、さらに1953〜1954(昭和28〜29)年にマユニ78形に改造されたため形式消滅となった。

<形式変遷表>
オハ77 1〜30(1946)──→ オハ78 1〜30(1953)──→ スユニ78 1〜29(1953)
                              │
                              └──→ スエ78(1962)


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◆オハフ71
 オハフ71 1, 2
 戦後の車両不足を補うために戦災を受けた電車を復旧した戦災復旧車で、1947〜1948(昭和22〜23)年に東洋レーヨンで2両製造された。車内は電車時代の運転台部分が車掌室で、妻面も半流形(オハフ71 1)または半切妻形(オハフ71 2)となっており、台車はTR23を使用している。1953〜1954(昭和28〜29)年にスユニ72形に改造されたため形式消滅となった。

<形式変遷表>
オハフ71 1,2(1947)──→ スユニ72 56,57(1953)


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◆オハユニ71
 オハユニ71 1〜20(旧オハ71500番代
 戦災復旧車オハ71形500番代を種車に改造した3等郵便荷物車で、1950(昭和25)年に土崎、長野工で20両改造された。改造ではオハ71形の車体中央の2つの出入台を撤去し、郵便室扉と荷物室扉を新設している。車体は端部を絞った半切妻形(折妻形)で、側窓はスハ32系と同じ狭窓タイプ(18両)またはオハ35系の広窓タイプ(2両)である。車内配置は前位から順に便所・洗面所、客室、郵便区分室、荷物室、乗務員室となっており、台車はTR11、TR23またはTR34を使用している。1961(昭和36)年に1両が配給車オル71形に改造され、1962〜1965(昭和37〜40)年に13両が救援車スエ71形に改造され、残りの6両も1966(昭和41)年までに廃車となり形式消滅した。

<形式変遷表>
オハ71 500〜522(1947)──┬─→ オハユニ71 1〜20(1950)
              │      ├────→ オル71(1961)
              │      └────→ スエ71(1962)
              │
              └────→ スユニ72 1,31,32(1953)
                       └──→ スエ71(1964)
スエ71 32

スエ71 32(盛イチ
北上操車場跡地、1988年 5月29日

 <車両履歴>
  オハ71 512  (1947年/復旧)
    ↓
  オハユニ71 12(1955年/改造)
    ↓
  スエ71 32  (1963年/改造)


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