12系客車
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05. 1. 1 改訂

◆オハ12
 オハ12 1〜374
1001〜1023(旧オハ120番代、ローカル用改造車)
1288, 1289(旧オハ120番代、車掌室取付改造車)
2001〜2016(旧オハ120番代、ローカル用改造車、電気暖房付)
3001〜3012(旧オハ120番代、リクライニングシート改造車)
 老朽化した波動輸送用の急行形客車の置換用ととしてスハフ12形とともに登場した座席車で、1969〜1978(昭和44〜53)年に374両製造された。
 オハ12 1〜374スハフ12形0番代スハフ12形100番代オハフ13形0番代とともに新製されたグループで、1969〜1971(昭和44〜46)年と1977〜1978(昭和52〜53)年に新潟鉄工所、富士重工業、日本車輌で374両製造された。これまでの一般形客車と異なり 客車自体で冷房などのサービス電源を供給でき(発電機を装備したスハフ12形から受電する)、室内設備なども急行形電車を基本にグレードアップしたものとなっている。車体幅は最大2,903mmに拡大し、車体長も20,800mmに延長され、車内のクロスシートはナハ10系などに比べシートピッチが拡大されている(定員88名)。冷房装置は屋根上にAU13Aを6台搭載しており(オハ12 313〜374はAU13AN)、台車は20系のTR55を基本に新設計されたTR217を使用している(オハ12 215〜312はTR217B、オハ12 313〜374はTR217C)。1985(昭和60)年にローカル用として39両がオハ12形1000番代またはオハ12形2000番代に改造され、1988(昭和63)年に3両が「SLやまぐち号」用のオハ12形700番代に改造され、1991〜1993(平成3〜5)年には急行「ちくま」「だいせん」用として10両がオハ12形3000番代に改造され、さらに久大本線用として2両がオハ12形1000番代に改造された。その他に寝台特急「あさかぜ」「瀬戸」用ラウンジカーのオハ25形300番代に3両、スハ25形300番代に2両が改造され、イベント用としてオロ12形0番代に4両、欧風客車オロ12形700番代に15両、和式客車オロ12形800番代に64両、「あすか」用のオロ12形850番代に4両、カーペット車オハ12形800番代に2両がそれぞれ改造された。現在は13両のみが新潟、高崎、京都、和歌山に在籍し、「SLばんえつ物語号」「きのくにシーサイド」や波動輸送用として使用されている。

 オハ12 1001〜1023はローカル用にオハ12形0番代を改造したグループで、1985〜1986(昭和60〜61)年に鷹取、松任、後藤、広島、幡生の各工場・車両所で改造された。室内は出入台付近がロングシート化されたセミクロスシート配置に改造され、定員は120名(座席84名、立席36名)に増加した。老朽化した一般形客車の置換用として七尾線、福知山線、山陰本線、伯備線などで使用されたが、客車列車の気動車化や電車化に伴う運用範囲の縮小化により、1992(平成4)年に2両がキサハ34形0番代に改造され、1993(平成5)年に1両が和式客車オロフ12形800番代に改造され、残った車両も1997(平成9)年までに廃車となり区分消滅した。

 オハ12 1288, 1289はJR九州において不足する緩急車を補うためにオハ12形0番代を車掌室取付改造したグループで、1993(平成5)年に小倉工で2両改造された。改造ではオハ12形0番代の洗面所・便所を撤去してに車掌室が取り付けられ、妻面に後方監視窓が設けられた。車号は元番号に1000を加えたものに改番され、大分に配属され九大本線で使用されたが、客車列車の気動車化により 1999(平成11)年に2両とも廃車となり区分消滅した。

 オハ12 2001〜2016は東北地区のローカル用にオハ12形0番代を改造したグループで、1985(昭和60)年に土崎、盛岡工で16両改造された。冷暖房などのサービス電源を電気暖房装置付きの電気機関車(ED75形など)から受電する方式に変更したため、変圧器や高圧ヒューズ箱などが取り付けられ、車軸発電機が撤去された。室内は出入台付近がロングシート化されたセミクロスシート配置に改造され、定員は120名(座席84名、立席36名)に増加した。青森に配属され主に東北本線盛岡〜青森間でオハフ13形2000番代とともに使用されたが、客車列車の電車化により 1997(平成9)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 オハ12 3001〜3012は急行「ちくま」「だいせん」用にオハ12形0番代を改造したグループで、1991〜1993(平成3〜5)年に鷹取工、後藤車両所で12両改造された。改造では 客室のクロスシートをリクライニングシート(485系電車からの発生品)に交換し、便所と洗面所の改良が行われ、車軸発電機を撤去して三相変圧器が取り付けられ14系客車と同じ電気システムに変更された。宮原に配属されスハフ12形3000番代14系寝台車とともに急行「ちくま」「だいせん」に使用されたが、1999(平成11)年までに同列車が電車化または気動車化されたため、2003(平成15)年までに全車廃車となり区分消滅した。

オハ12 28
オハ12 28(名ナコ
金沢駅、1986年 8月 3日

 <車両履歴>
  オハ12 28 (1969年/新製)
    
   −−− (1991年/廃車)
オハ12 1010
オハ12 1010(米ヨナ
鳥取鉄道部、1991年11月23日

 <車両履歴>
  オハ12 72 (1970年/新製)
    ↓
  オハ12 1010(1985年/改造)
    
   −−−  (1993年/廃車)
オハ12 1288
オハ12 1288(分オイ
豊後森駅、1999年11月23日

 <車両履歴>
  オハ12 288 (1971年/新製)
    ↓
  オハ12 1288(1993年/改造)
    
   −−−  (1999年/廃車)
オハ12 2015
オハ12 2015(盛アオ
弘前駅、1991年11月 3日

 <車両履歴>
  オハ12 273 (1971年/新製)
    ↓
  オハ12 2015(1985年/改造)
    
   −−−  (1995年/廃車)
オハ12 3008
オハ12 3008(大ミハ
出雲運転区、1994年12月11日

 <車両履歴>
  オハ12 271 (1971年/新製)
    ↓
  オハ12 3008(1992年/改造)



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◆スハフ12
 スハフ12 1〜90
101〜163
1001〜1012(旧スハフ120番代、ローカル用改造車)
3001〜3006(旧スハフ120番代、リクライニングシート改造車)
 老朽化した波動輸送用の急行形客車の置換用ととしてオハ12形とともに登場したサービス用電源の発電装置付きの座席緩急車で、1969〜1978(昭和44〜53)年に153両製造された。
 スハフ12 1〜90は一般形として製造されたグループで、1969〜1971(昭和44〜46)年に新潟鉄工所、富士重工業、日本車輌で90両製造された。基本設計はオハフ13形0番代と同様となっており、後位には電車の先頭車を思わせるような車掌室が設けられているが(定員80名)、照明や冷暖房などのサービス用電源の発電装置を床下に搭載している。先行試作車スハフ12 1〜8は自車を含め5両まで給電可能なDMF15H-Gディーゼル機関(出力180PS)とDM82発電機(容量150kVA)を組み合わせた発電装置となっているが、量産車のスハフ12 9〜90は6両給電を可能とするため過給機付きのDMF15HS-G(230PS)を搭載して発電機容量を180kVAに強化している(後にスハフ12 1〜8は量産化改造により180kVA化)。冷房装置は屋根上にAU13Aを5台搭載し、台車はTR217Aを使用している(スハフ12 65〜90はTR217C)。1985〜1986(昭和60〜61)年にローカル用として12両がスハフ12形1000番代に改造され、1991〜1992(平成3〜4)年に6両が急行「ちくま」「だいせん」用のスハフ12形3000番代に改造された。そのほか、イベント用としてスハフ12形700番代に2両、スロフ12形0番代に2両、欧風客車スロフ12形700番代に6両、和式客車スロフ12形800番代に18両、スロフ12形900番代に2両がそれぞれ改造された。現在は2両が美濃太田、山口に在籍し、それぞれ「トロッコファミリー号」または「SLやまぐち号」用予備車として使用されている。

 スハフ12 101〜163はは改良形として製造されたグループで、量産再開後の1977〜1978(昭和52〜53)年に新潟鉄工所、富士重工業、日本車輌で90両製造された。汚水処理装置が本使用されて使用電力が増えたため、発電装置の容量を210kVAに強化した(先に登場したスハフ14形と同じ)。発電装置はインタークーラー付きのDMF15HZ-Gディーゼル機関(230PS)とDM93発電機(210kVA)を組み合わせたものに変更した。冷房装置は難燃化構造としたAU13ANを5台搭載し、台車はTR217Dを履いている。スハフ12 149〜163は埋め込み幌が廃止され一般幌に変更されたため、後方監視窓が縦長の形状となっている。1983(昭和58)年以降、イベント用として和式客車スロフ12形800番代に11両、「あすか」用のマロフ12形850番代に2両、「奥出雲おろち号」用のスハフ13形800番代に1両、「SLばんえつ物語号」用のオハ12形1700番代に1両がそれぞれ改造された。現在は新潟、高崎、美濃太田、京都、和歌山に7両のみが在籍し、「SLばんえつ物語号」「トロッコファミリー号」「きのくにシーサイド」や波動輸送用として使用されている。

 スハフ12 1001〜1012は 1985〜1986(昭和60〜61)年に鷹取、松任、後藤、広島、幡生の各工場・車両所で改造された。室内は出入台付近がロングシート化されたセミクロスシート配置に改造され、便所の閉鎖、洗面所設備の撤去などが施工された。車掌室には業務用扉が追加され、無人駅における集札業務と扉操作の迅速化に対応している。老朽化した一般形客車の置換用として七尾線、福知山線、山陰本線、伯備線などで使用されたが、客車列車の気動車化や電車化に伴う運用範囲の縮小化により、2両が1992(平成4)年にキサハ34形500番代へ改造され、残りの10両は1997(平成9)年までに廃車となり区分消滅した。

 スハフ12 3001〜3006は急行「ちくま」「だいせん」用にスハフ12形0番代を改造したグループで、1991〜1992(平成3〜4)年に鷹取工、後藤車両所で6両改造された。改造では 客室のクロスシートをリクライニングシート(485系電車からの発生品)に交換し、便所と洗面所の改良が行われ、車軸発電機を撤去して三相変圧器が取り付けられ14系客車と同じ電気システムに変更された。また、後位側妻面(車掌室)の貫通扉に14系客車と同様の字幕が取り付けられ、テールマークが表示可能になった。宮原に配属されオハ12形3000番代14系寝台車とともに急行「ちくま」「だいせん」に使用されたが、1999(平成11)年までに同列車が電車化または気動車化されたため運用を離脱した。1998(平成10)年に1両が「奥出雲おろち号」用のスハフ12形800番代に改造され、残りの5両は運用離脱後も波動輸送用として使用されたが、2002〜2003(平成12〜15)年に廃車となり区分消滅した。

スハフ12 16
スハフ12 16(天リウ NEW
和歌山駅、1986年 1月 6日

 <車両履歴>
  スハフ12 16 (1970年/新製)
    
   −−−  (1996年/廃車)
スハフ12 102
スハフ12 102(盛アオ NEW
青森駅、1988年 5月28日

 <車両履歴>
  スハフ12 102 (1977年/新製)
スハフ12 1004
スハフ12 1004(福フチ NEW
和田山駅、1988年 -月--日

 <車両履歴>
  スハフ12 24 (1970年/新製)
    ↓
  スハフ12 1004(1985年/改造)
    
   −−−   (1995年/廃車)
スハフ12 3002
スハフ12 3002(大ミハ NEW
出雲運転区、1994年12月11日

 <車両履歴>
  スハフ12 87 (1971年/新製)
    ↓
  スハフ12 3002(1991年/改造)
    
   −−−   (2003年/廃車)



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◆オハフ13
 オハフ13 1〜76
1001〜1012(旧オハフ130番代、ローカル用改造車)
2001〜2021(旧オハフ130番代、ローカル用改造車)
 老朽化した波動輸送用の急行形客車の置換用ととしてオハ12形スハフ12形とともに登場した緩急設備付きの座席車で、1969〜1971(昭和44〜46)年に76両製造された。
 オハフ13 1〜76オハ12形0番代スハフ12形0番代とともに新製されたグループで、1969〜1971(昭和44〜46)年に新潟鉄工所、富士重工業、日本車輌で76両製造された。基本設計はスハフ12形0番代と同様となっているが、冷暖房などのサービス用電源の発電装置を省略しているため自重が軽くなっている。室内はナハ10系などに比べシートピッチが拡大されたクロスシート配置となっており(定員80名)、冷房装置は屋根上にAU13Aを5台搭載している。台車は20系のTR55を基本に新設計されたTR217(オハフ13 51〜76はTR217B)を使用している。1985(昭和60)年にローカル用として33両がオハフ13形1000番代またはオハフ13形2000番代に改造され、1988(昭和63)年には1両が「やまぐち号」用のオハフ13形700番代に改造された。北海道を除く全国の急行列車や波動輸送用で使用されたが、客車列車の気動車化や電車化に伴う大量廃車により、現在は和歌山に「きのくにシーサイド」用の1両が在籍するのみとなっている。

 オハフ13 1001〜1012はローカル用にオハフ13形0番代を改造したグループで、1985(昭和60)年に鷹取、松任、後藤、広島の各工場・車両所で12両改造された。室内は出入台付近がロングシート化されたセミクロスシート配置に改造され、定員は112名(座席76名、立席36名)に増加した。その他に便所の閉鎖、洗面所設備の撤去などが施工され、車掌室には業務用扉が追加され、無人駅における集札業務と扉操作の迅速化に対応した。老朽化した一般形客車の置換用として七尾線、福知山線、山陰本線、伯備線などで使用されたが、客車列車の気動車化や電車化に伴う運用範囲の縮小化により、1997(平成9)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 オハフ13 2001〜2021は東北地区のローカル用にオハフ13形0番代を改造したグループで、1985(昭和60)年に土崎、盛岡工で21両改造された。冷暖房などのサービス電源を電気暖房装置付きの電気機関車(ED75形など)から受電する方式に変更したため、変圧器や高圧ヒューズ箱などの取り付けられ、車軸発電機が撤去された。室内は出入台付近がロングシート化されたセミクロスシート配置に改造され、定員は112名(座席76名、立席36名)に増加した。その他に便所の閉鎖、洗面所設備の撤去、業務用扉の追加などが施工された。青森に配属され主に東北本線盛岡〜青森間でオハ12形2000番代とともに使用されたが、客車列車の電車化により 1997(平成9)年までに全車廃車となり区分消滅した。

オハフ13 47
オハフ13 47(天リウ
新宮駅、1985年 9月 9日

 <車両履歴>
  オハフ13 47 (1970年/新製)
    
   −−−  (1994年/廃車)
オハフ13 1005
オハフ13 1005(福フチ
福知山駅、1988年 -月--日

 <車両履歴>
  オハフ13 34 (1970年/新製)
    ↓
  オハフ13 1005(1985年/改造)
    
   −−−   (1997年/廃車)
オハフ13 2002
オハフ13 2002(盛アオ
弘前駅、1991年11月 3日

 <車両履歴>
  オハフ13 18 (1970年/新製)
    ↓
  オハフ13 2002(1985年/改造)
    
   −−−   (1996年/廃車)


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