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◆キハ30
キハ30 | 1〜100 |
501〜506(寒地向け) | |
キハ30 1〜100は一般形として製造されたグループで、1963〜1966(昭和38〜41)年に日本車輌、新潟鉄工所で100両製造された。キハ35形0番代と同様の車体構造で、後位にも運転台が設けられ両運転台となっているが、便所は設けられていない。機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Hを1台搭載し、台車はDT22C(TR51B)を使用している。首都圏、新潟、名古屋、関西地区を中心に全国で使用されたが、電化区間の進展と老朽化により大多数が廃車となり、現在は木更津に4両、伊勢に1両(保存車)が在籍するのみである。![]() キハ30 501〜506は寒地向けに製造されたグループで、1964〜1965(昭和39〜40)年に日本車輌で6両製造された。車体構造はキハ30形0番代を基本としているが、複線用雪カキ器および床下機器カバーが取り付けられ、通風器は締切可能な押込式となっている。新潟地区に新製配置され越後線、弥彦線で使用され、その後首都圏地区へ転属し八高線、相模線、久留里線で転用されたが、1998(平成10)年までに廃車となり区分消滅となった。 |
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キハ30 46(東チサ) 茅ヶ崎運転区、1988年 5月 5日 <車両履歴> キハ30 46 (1965年/新製) ↓ −−− (1991年/廃車) |
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キハ30 501(千キサ) 幕張電車区木更津支区、1989年 4月30日 <車両履歴> キハ30 501 (1964年/新製) ↓ −−− (1996年/廃車) |
◆キハ35、キクハ35
キハ35 | 1〜217 |
301〜304(和田岬線用) | |
501〜531(寒地向け) | |
901〜910(ステンレス車体) | |
キクハ35 301〜304(和田岬線用) | |
キハ35 1〜217は一般形として製造されたグループで、1961〜1966(昭和36〜41)年に日本車輌、富士重工業、帝国車輌、新潟鉄工所で217両製造された。キハ36形と同様の車体構造で片運転台となっているが、便所が後位に設けられている。機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Hを1台搭載し、台車はDT22C(TR51B)を使用している。首都圏、新潟、名古屋、関西地区を中心に全国で使用されたが、電化区間の進展と老朽化により大多数が廃車となり、1997(平成9)年までに廃車となり区分消滅した。![]() キハ35 301〜304はJR西日本において山陽本線(兵庫〜和田岬間、通称和田岬線)向けにキハ35形0番代を改造したグループで、1990(平成2)年に鷹取工で4両製造された。改造では座席の一部撤去、便所の撤去、ホーム反対側の出入台の一部閉塞(1扉化)等が行われた。同様に改造されたキクハ35形とともに和田岬線で使用されている。 ![]() キハ35 501〜531は寒地向けに製造されたグループで、1962〜1966(昭和37〜41)年に日本車輌、富士重工業で31両製造された。車体構造はキハ35形0番代を基本としているが、複線用雪カキ器および床下機器カバーが取り付けられ、通風器は締切可能な押込式となっている。新潟地区に新製配置され越後線、弥彦線で使用され、その後一部は首都圏地区へ転属し八高線、相模線で転用されたが、1997(平成9)年までに廃車となり区分消滅となった。 ![]() キハ35 901〜910は国鉄初のステンレス製気動車として試作されたグループで、1963(昭和38)年に東急車輌で10両製造された。車体構造はキハ35形0番代を基本としているが、ボルスター部分と機関ツリハリを除き台枠から車体まで全てステンレス製となっているため軽量化されている。千葉に新製配置され房総地区で使用され、その後高崎へ転属し川越線、八高線で転用(一部はさらに茅ヶ崎へ転属し相模線で使用)されたが、1995(平成7)年までに廃車となり区分消滅となった。 ![]() キクハ35 301〜304はJR西日本において山陽本線(兵庫〜和田岬間、通称和田岬線)向けにキハ35形0番代を改造したグループで、1990(平成2)年に鷹取工で4両製造された。改造ではキハ35形300番代と同様に座席の一部撤去、便所の撤去、ホーム反対側の出入台の一部閉塞(1扉化)等が行われ、さらに機関も撤去され制御車となっている。同様に改造されたキハ35形300番代とともに和田岬線で使用されている。 |
◆キハ36
キハ36 | 1〜49 |
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キハ36 48(高タカ一) |
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